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染谷源右衛門(そめやげんえもん)と印旛沼(いんばぬま)の開発

今のような印旛沼になるまでに、どんな人びとの努力や苦心があったのでしょう。

たび重なる水害

利根川(とねがわ)は、今からやく400年前までは、江戸湾(えどわん、今の東京湾)へ流れていました。
 1603年、江戸に幕府を開いた徳川家康(とくがわいえやす)は、江戸を大水の害から守るため、利根川を銚子(ちょうし)に流れるような川のつけかえ工事をしました。この工事によって印旛沼は、利根川とつなげられました。

その結果、大雨がふるたびに印旛沼の水があふれ、まわりの村は水害で苦しめられるようになりました。利根川から印旛沼にたくさんの水が流れこみ、平戸川(ひらとがわ、今の新川)や神崎川(かんざきがわ)へあふれたからです。そのときの川の流れは、今までと反対になりました。そのような意味から八千代市には、逆水(さかさみず)という地名がのこっています。

神野(かの)・保品(ほしな)・平戸のあたりでは、ちょうど田植えがすんだころに大水がおしよせ、稲(いね)が全部だめになってしまうことがありました。
 あふれた水は何日もひかないため、秋のころは、こしまでつかって稲をかり取る人や、船の上から手をのばして、穂先(ほさき)だけを取る人もいました、みのった稲や野菜(やさい)がくさってしまうこともあり、農家の人びとは食べ物も不足し、たいへんな被害(ひがい)をうけました。
 大水になると田畑だけでなく、家が水につかったり、流されたりしました。そこで人びとは、庭に土をもって土地を高くし、そこに、「水づか」とよばれる家をたてたりして大水にそなえていました。

たち上がる源右衛門

今から280年ほど前の1724年、たび重なる大水をふせごうとして、たち上がった人がいました。平戸村(今の八千代市)の名主(なぬし)をしていた染谷源右衛門でした。

大雨のたびに印旛沼の水害で苦しめられていた源右衛門は、くる日もくる日も水害をふせぐ方法はないものか、と考えていました。そして、源右衛門は、平戸村と花見川(はなみがわ)をつないで、沼の水を江戸湾に流すことができれば、印旛沼の大水をふせぐことができると考えたのです。これは、印旛沼から江戸湾までのおよそ14キロメートルの川底や台地をほりさげて、「ほりわり」(水路)をつくるという大工事でした。
 源右衛門は、幕府に工事をみとめてくれるようねがい出ました。

幕府では、役人を送り、土地のようすを調べたり、工事にかかる費用(ひよう)を計算したりしました。その結果、幕府は、源右衛門のほりわり工事の計画をみとめ、六千両(りょう)をあたえて工事をすすめるよう命じました。
 しかし、六千両のお金でも足りないので、源右衛門は、自分でも四千両のお金を用意しました。ほりわり工事は、一万両というお金をかけて行われました。
 源右衛門と村人たちは、もっこやくわなどの道具を使って、人の力でほりわりをつくっていきました。しかし、工事はうまくすすみませんでした。
 土をほったり、運んだりする技術(ぎじゅつ)が今のように発達していなかったことと、印旛沼のまわりは土がやわらかく、いくらほってもすぐにうまってしまったり、大水のために、できあがったほりわりがこわされてしまったからです。

村人の中には、工事をあきらめかけたものもいましたが、源右衛門は、村人たちをはげましながら工事をつづけました。用意したお金を使いはたした源右衛門は、自分の田畑を売ってお金をつくり、工事をつづけました。苦労してつくったお金も、とうとう使いはたしてしまいました。
源右衛門の努力のかいもなく、2年間つづいたほりわり工事は、中止になってしまいました。
源右衛門のあとも、ほりわり工事は行われました。

1785年には、幕府の役人だった田沼意次(たぬまおきつぐ)が、工事を行いました。そのとき中心になって工事をしたのは、島田村(今の八千代市)の名主、治郎兵衛(じろべえ)でした。1843年にも、幕府の役人だった水野忠邦(みずのただくに)によって工事がすすめられましたが、いずれも工事は成功しませんでした。この工事のために、鳥取や山形などの遠くから来た人もいました。

その後の印旛沼の開発

 昭和22年には、国が平戸川と花見川をつなぐ工事をはじめました。機械(きかい)による工事でしたが、完成(かんせい)まで20年以上の長い年月がかかりました。昭和42年、大和田に排水機場(はいすいきじょう)がつくられ、平戸川と花見川がやっとつながりました。
 こうして、印旛沼は東京湾とつながり、水害の心配もなくなりました。
 源右衛門の努力は250年後にようやく実現したのです。

●「わたしたちの八千代市 平成7年度版」(わたしたちの八千代市改訂委員会/編集、八千代市教育委員会/発行)を基にして作成しました。
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